ミクロコスモスとマクロコスモス

魔術を述べるにあたりまず触れねばならない根本的な事柄があります。それは魔術の世界観についてです。

ミクロコスモス(大宇宙)とマクロコスモス(小宇宙)の照応という観念があります。エメラルドタブレットに記された「上なるものは下なるものの如く、下なるものは上なるものの如し」とは、正にミクロコスモスとマクロコスモスの照応を指し示す文章です。

この観念自体は、エメラルドタブレット成立はるか以前、古代ギリシャにまで遡ることが出来ます。

プラトン著『ピレボス』において宇宙に四元素があるのと同様、人間の中にもそれに対応するものがある、と述べられていますが、これこそミクロコスモスとマクロコスモスの照応という観念にほかなりません。

すなわち、全宇宙と人間との間に一体性を見出すものの見方がミクロコスモスとマクロコスモスの照応というわけなのです。(それゆえ、このものの見方は、人間中心的にならざるを得ないともいえますでしょう。)

魔術の作業は、上記の発想に基づいて行われます。

科学の発展は、観察の主体たるミクロコスモスと客体たるマクロコスモスとの間に明確に線引きすることによってもたらされたということが出来ましょうが、魔術においては、ミクロコスモスとマクロコスモスの差異よりもむしろ関連性に注意を注ぎます。いいかえるならば、ミクロコスモスとは個々人に固有の主観的世界を意味し、マクロコスモスとは、誰がみても同じ答えが出るような客観的世界を意味するのです。

そして、ミクロコスモスとマクロコスモスという一見相容れない二つのものの見方を一体化させるのが想像力であり、なおかつ想像力を活性化させる象徴なのです。

と、述べてしまうと恐らく次のような感想が出てくるのではないでしょうか?

「なんだ、魔術って単なる想像にすぎないんだ」と…

これについては少々説明が必要です。想像力という能力に対し、それを単なる幻想をもたらすものとして考える人にとっては、「単なる」~「すぎない」という表現が適当でしょう。しかしながら、想像力は幻想のみならず何らかの形での創造をもたらすものであるとして積極的にその価値を認める人にとっては、「単なる」~「すぎない」という言い方は不適切な表現となります。むしろ、こうした人にとっては「魔術は想像力を用いる作業なんだ、なんか面白そうだな」といったような感想が出てくるのではないでしょうか。

すなわち、魔術に対する各人の評価は想像力についての各人の考え方に大きく依存するのです。

魔術師アレイスター・クロウリーは魔術を「scienceでありartである」と述べました。ところで、魔術の世界観が上のようなものである以上、魔術を自然科学と同じ俎上に載せるのは誤りでありましょう。現代の語感では「科学」という言葉は概ね「自然科学」を意味します。それゆえここでのscienceはむしろ「学知」と訳した方が誤解を生まずにすむのではないでしょうか。

魔術を自然科学の視点から眺め疑似科学にすぎないと断ずるよりも、魔術は想像力を用いる知の営みであるとする方が、魔術の本質を表していると私は考えるのです。(2002/01/27)